意外と知らない沖縄出身の大相撲力士たち

沖縄県民の間では大相撲よりも高校野球の方がメジャーですが、力士の中には沖縄出身者もいます。そこで今回はすでに現役を引退している元力士のその後も含め、沖縄出身力士たちをピックアップして紹介します。

相撲

沖縄出身の関取第一号【琉王優貴】

沖縄出身の関取第一号として記録に残っているのは、琉王です。1945年に生まれた琉王は、疎開先の大分県で生まれました。その後那覇市に移り住み中学校卒業までの少年時代を過ごしています。

中学校を卒業すると奄美大島に移り住み、奄美高校の柔道部に所属します。高校時代に夏休みを利用し上京します。そしてこの時に徳之島出身で高砂部屋に所属していた横綱・朝潮に会いに行ったのですが、残念ながらこの時は朝潮も含め高砂部屋の力士たちは巡業のため留守。

失意のまま帰路についた琉王は、なんと途中で道に迷ってしまいます。ところがこの時偶然にも朝日山親方夫人に出会います。この時の出会いがきっかけで後日朝日山部屋から勧誘を受け、そのまま入門を決意します。

四股名を改名したことがきっかけで幕内力士にまで成長

1962年11月場所で初土俵を踏んだもののなかなか芽が出ず幕下のまま伸び悩んだ琉王。鳴かず飛ばずの状態が長く続いたため、さすがに廃業を考えます。ところが当時の沖縄はアメリカの占領下。廃業後に自衛隊へ入隊することを考えていたのですが、入隊の条件が「日本国籍を持つ者」とあったため(沖縄県は当時日本ではなかったため)その条件が満たせず自衛隊入隊を断念します。

そこで「どうせやめるのならとんでもなくでかい名前を付けてやろう」と考え「琉王(琉球の王)」に四股名を変更!ただすでにこの時には辞めるつもりでいたので、稽古に真剣に取り組む気はゼロ。稽古はしない代わりに出されたちゃんこを片っ端から食べ続けたところ、体重が増え得意の押しに威力が出てきます。

棚ぼたとはいえ結果として体重が増えたことで勝てるようになってくると、それまで遠ざかっていた稽古にも真剣に打ち込むようになります。強烈な押しを手にいれたこともあって、琉王の番付はどんどん上がります。そしてついに1970年11月場所で新入幕となります。

琉王は引退後に上野でちゃんこ屋を開いていましたが脳梗塞を患ったため沖縄に戻り、2015年70歳でこの世を去りました。

兄弟力士のお兄ちゃん【美ノ海義久】

沖縄出身の現役力士の中には兄弟力士もいます。それが美ノ海です。1993年生まれでうるま市出身の美ノ海は、本名を木崎信志といいます。美ノ海は木瀬部屋に所属しており、弟の木崎海も同じく木瀬部屋の力士です。

美ノ海が相撲を始めたのは小学校1年生の頃だといます。実は美ノ海の叔父が中部農林高校相撲部の監督を務めていたこともあって、美ノ海はこの頃から高校生に交じって相撲の稽古をしていたといいます。そんな恵まれた環境などもあってメキメキと上達していきます。そして中学生の頃には「全国中学校相撲選手権大会」でベスト16入りを果たしました。

2歳年下の弟が中学校進学となるタイミングで鳥取市立西中学校へ兄弟そろって転校し、その後名門の鳥取城北高校へ進学します。高校時代も国体団体優勝、個人戦優勝など実績を残し、卒業後は日本大学相撲部に所属します。主将を務めた4年次には「全国学生相撲選手権大会」で団体優勝も果たします。

大学卒業後は同じ日本大学出身の木瀬親方から勧誘を受け入門。2016年3月場所で初土俵を踏んでいます。

兄弟力士の弟【木崎海伸之介】

現役の沖縄出身兄弟力士の弟が木崎海です。兄の美ノ海と同じく木瀬部屋に所属し、2018年3月場所で初土俵を踏んでいます。まだ初土俵を踏んだばかりの力士なので生涯戦歴は35勝13敗(2019年3月場所終了時点)ですが、学生時代には前日本相撲選手権で3位の実績を持っているだけに今後の活躍が期待される県出身力士です。

幕下陥落から再び十両に返り咲いた不屈の力士【琴椿克之】

1960年生まれの琴椿は、那覇市出身の元力士です。本名は渡嘉敷克之といい、アメリカ占領下にあった沖縄で生まれ育ちます。沖縄が本土復帰を果たした頃、佐渡ヶ嶽親方から直接勧誘を受けた琴椿は入門を果たします。

琴椿の出世は遅く、10年かけて幕下から十両に昇進します。ただ十両昇進後もなかなか成績が伸びず、わずか1場所で幕下に陥落してしまいます。この時期に廃業を考えたそうですが、親方から「もう一度やってみろ」と励ましを受け奮起することに…。この時に親方から「硬くならずに気楽に行け」というアドバイスをもらったことが一つのきっかけとなって徐々に調子が上向いてきます。

1989年に十両復帰を果たしてからは陥落することなく十両に定着。さらに1991年には新入幕を果たします。ただ1992年11月場所の13日目に若花田と対戦した時にけがを負い休場すると、徐々に調子が落ちていきます。幕下陥落した後も現役を続行しましたが結局十両復帰はならず引退します。

琴椿は2007年に白玉を襲名し、現在は佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方として後進の育成・指導に当たっています。

力士引退後にお坊さんへ転身【琉鵬正吉】

1977年中城村出身の琉鵬は、立田川部屋に入門後陸奥部屋に所属した元力士です。中学校卒業と同時に立田川部屋に入門し、1993年に初土俵を踏んでいます。1998年には幕下に昇進しますが、立田川親方が定年・部屋を閉鎖することになったためほかの所属力士たちと共に陸奥部屋へ移籍します。2002年には新十両に昇進しますが翌年には幕下へ陥落してしまいます。

その後しばらく幕下でなかなか成績が伸ばせずにいましたが、2005年には再び十両へ昇進を果たします。初土俵から81場所にしてようやく新入幕を果たすことが出来ましたが、翌場所では大きく負け越してしまい十両へ陥落。さらにかねてから痛めていた両ひざの手術などを受けましたが、調子は上がらずその後は長く我慢の時を過ごします。

ただ2010年に大相撲の野球賭博問題が起こり、大量の幕下降格者が出ます。その結果として琉鵬は再十両を果たします。ただそのあとも調子は上がらず再び幕下へ陥落。さらに手術した膝と併せて腰も悪化してしまい、治療とリハビリに専念するため長期休場を決断します。最終的には序の口まで陥落し、のちに引退しました。

引退後は現役時代から仏門への出家を考えていたこともあり、2012年に出家。宮城県内の寺で修業を積んだのち、2015年に沖縄へ戻り伊江村の寺で副住職を務めています。ただ力士時代に痛めた両ひざの影響で今でも正座をすることが出来ません。そのためお坊さんとしてお勤めをする時には、専用の椅子に座ってお勤めします。地元では「元力士のお坊さん」というよりも「身体の大きくてやさしいお坊さん」として有名です。