「世界のウチナーンチュ大会」5年に一度世界中のウチナーンチュが沖縄に集まる日

沖縄県民以外ではあまり知られていないけれど、5年に一度世界中に住むウチナーンチュたちが一斉に沖縄に集まる日があります。それが「世界のウチナーンチュ大会」。その歴史や由来などをまとめてみました。


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世界中に約40万人のウチナーンチュが住んでいる

沖縄県の人口は約143万人です。日本の人口を各都道府県別でみてみると、沖縄県の人口はいたって平均的です。2016年時点の国勢調査で見ると沖縄県の人口は全国第25位で、多くもなければ少なくもないです。

ただ世界に目を向けてみるとウチナーンチュと呼ばれる沖縄系の人々の人口はなんと約40万人。最もウチナーンチュが多いブラジルには、2016年時点で約16万人のウチナーンチュが住んでいます。

もちろんブラジルがある南米エリアだけにウチナーンチュが集中しているわけではありません。アメリカでは特にハワイ州に多くのウチナーンチュが住んでいますし、カナダやメキシコ、その他の国々にもたくさんのウチナーンチュたちが暮らしています。

どうして世界中にウチナーンチュが暮らすようになったの?

沖縄は「移民県」と呼ばれていた時代があります。沖縄から世界への移民が本格化したのは1900年頃といわれています。当時の主な入植先はブラジル、ペルー、アメリカ本土(とりわけハワイ州に集中)でした。そのため戦前に海外に移民した日系人の多くはウチナーンチュだといいます。

戦後の沖縄はアメリカの統治下におかれました。戦争によって多くの犠牲者を出した沖縄ですが、終戦直後は大量の引揚者が沖縄に入ってきたため一気に人口が増加します。

ところがこの当時の沖縄は、アメリカ軍の基地建設によって多くの民間所有の土地が強制的に取り上げられてしまいます。そのせいで人口が増えたのに農地として使うことが出来る土地が極端に減ってしまいます。

そこでこの状況を解決するための方法として、当時の琉球政府が完成移民事業を本格的に始めます。こうして戦後もブラジルやボリビアなどへの移民が積極的に行われたのです。

世界のウチナーンチュ大会のきっかけになった地元新聞の連載記事

世界のウチナーンチュ大会の由来には、様々な理由があります。でもその一つに、地元の地方新聞のある連載コラムが関係していたということはあまり知られていません。

その連載コラムが掲載されたのが、1893年に設立された沖縄の新聞社・琉球新報社の「琉球新報」です。世界のウチナーンチュ大会が初めて開催された1990年よりも6年も前の1984年に連載をスタートさせたのが『世界のウチナーンチュ』と呼ばれるコラムでした。

延べ2年間に484回にも及ぶ長期連載コラムは、移民として沖縄を離れ海外で活躍するウチナーンチュたちの姿をリポートしたものでした。掲載当時は、コラムを通して移民として海外に渡ったウチナーンチュたちの苦労をはじめて知った沖縄県民も多かったといいます。また見知らぬ場所で力強く生きる世界のウチナーンチュの姿に励まされた人も多かったようです。

このように琉球新報が掲載した『世界のウチナーンチュ』は、戦争で傷つきながらも必死で前を向こうとするウチナーンチュの心に灯る希望の光となります。そしてこのコラムの評判は沖縄県民の間で広まり、最終的には『世界のウチナーンチュ』と題された書籍として出版されました。

こうした沖縄県内での動きも、世界のウチナーンチュ大会が開催される一つのきっかけになったといわれています。

「そうだ!世界にウチナーンチュのネットワークを作ろう!」がきっかけ

世界のウチナーンチュ大会が開催される背景には、ほかにも様々なことがあります。終戦から長く続いたアメリカ統治時代が1972年にようやく終止符が打たれ本土復帰となりますが、復帰の中身は沖縄県民が望んでいたものではありませんでした。

本土復帰を果たしてからも、沖縄にはアメリカ軍の基地が数多く残されました。そのことによって様々な基地問題が本土復帰後も度々起こります。さらに本土復帰を果たしても沖縄の経済や産業に劇的な変化は起こりませんでした。

こうした様々な問題を抱えていた頃に、琉球新報の『世界のウチナーンチュ』の連載がスタートします。この連載を目にした当時の沖縄県知事は、あることを思い出します。

もともと沖縄は「琉球王国」という独立した国でした。琉球は世界各国との貿易によって栄えただけでなく、貿易のハブ地としての役割もありました。様々な国から貿易品が集まり、それと共に人や文化・知識が集まる場所でもありました。

そのことを思い出した当時の沖縄県知事は、「世界各国にいるウチナーンチュたちと交流をしてこの状況を打破しよう!」と思いつきます。これが「世界ウチナーンチュ・ネットワーク構想」です。

今では「世界若者ウチナーンチュ大会」まで開催されている!

世界ウチナーンチュ大会は、1990年から5年に1度沖縄で開催されています。4日間にわたる大会開催中は、海外から多くのウチナーンチュたちが沖縄に集まります。

開催期間中の那覇国際空港では久しぶりに家族や親族との再会を喜ぶ人の姿があちらこちらで見られますし、大会のメイン会場周辺のホテルは大きなスーツケースを持ったウチナーンチュたちで満室になります。

そんな世界のウチナーンチュ大会も、回を重ねるたびに2世、3世の姿の方が増えてきました。それは仕方のないことです。何しろ沖縄から海外への移民が始まってすでに100年が過ぎているのです。

ただこうした若い2世、3世のウチナーンチュにも、沖縄の心は根付いています。そして沖縄にルーツを持ちながら世界各地で生まれ育った若いウチナーンチュたちが集まり、若者のパワーで新しく沖縄と世界を繋ぐための祭典が生まれました。それが「世界若者ウチナーンチュ大会」です。

2012年に第一回大会が開催されてから、これまでに沖縄、南米、北米、アジア、欧州、ペルーで開催されてきました。大会では沖縄の伝統芸能や島言葉(しまくとぅば)だけでなく移民生活を学ぶツアーや沖縄戦について考えるワークショップなども開催されています。

世界のウチナーンチュ大会は形を変えて次の世代にも受け継がれている

沖縄から海外への移民が始まってからすでに1世紀が過ぎ、当時のことを知る人はほとんどいません。海外に住むウチナーンチュの多くも2世、3世と若返っており、沖縄にルーツがありながらも沖縄を訪れたことがない人の方が多くなっています。

でも沖縄に住んでいても「沖縄戦のことを知らない」「沖縄の昔の風景を知らない」「沖縄の島言葉(しまくとぅば)を話せない」という若い人が増えています。

だからこそ若い世代が住む国を超えてつながりを持ち、お互いの知識や経験をウチナーンチュという枠の中で体験することはとても意味があることなのではないでしょうか?