かつて沖縄には女性が刺青を入れる習慣があった

沖縄には数多くの独特な文化がありますが、その一つにハジチと呼ばれる女性の刺青があります。「ハジチを見ればどこの出身かが分かる」とも言われているほど奥が深く、模様一つにも深い意味があります。


女性

そもそもハジチとはいったい何?

かつては沖縄の女性であれば必ず入れていたといわれる「ハジチ」と呼ばれた入れ墨。ハジチは1899年に明治政府によって禁止令が出たことがきっかけで徐々に消えてしまった風習なのですが、かつては沖縄の女性であればだれもが行う伝統的な風習でした。

ハジチは女性の成人儀礼の一つとされていて、未婚の間は左手のみに施し、結婚をすると右手にも入れるのが習わしでした。一般的には結婚適齢期を迎える前の15~16歳ごろに本格的なハジチを入れ始め、結婚直前までには左手のハジチが完成するようにしていたといいます。

ハジチは女性たちの楽しみの一つだった

ハジチは、「ハジチャー」と呼ばれる彫師によって行われていたといます。模様には様々なものがありますが、ハジチの模様の流行は首里・那覇が主だったといます。

ハジチャーが多く住んでいたのも首里・那覇だったため、首都から遠く離れた地方には1~2年に1度しかハジチャーはやってきません。しかもハジチを入れるタイミングは奇数年齢の年とされていたため、1~2年ごとにしかハジチャーがやって来ない地域の女性たちは、ハジチを入れることが出来るのをとても楽しみにしていたといいます。

とにかく痛いハジチ

ハジチは、手の甲に施す入れ墨です。当時は縫い針で行っていた上に1回の施術に約2時間かかったといいます。しかも痛みを紛らわせるような薬などもない時代ですから、女性たちはただひたすら痛みに耐え続けなければいけません。

痛みは針を刺した時だけではありません。いくらハジチ専門のハジチャーが施していたといっても、刺青が終わった後の手の甲は数日にわたって腫れ上がります。そのため女性たちは針で刺された痛みに我慢するだけでなく、腫れ上がった手の甲の痛みにも耐えなければいけません。

そのため痛みを少しでも忘れさせる方法として様々なことが行われていました。針で刺される時の痛みは煎った大豆に黒砂糖をまぶしたものを食べて気を紛らわしていたそうですし、施術後の腫れた手の痛みにはおからをあててしのいでいたと言います。

ハジチの模様に込められた意味

ハジチは独身までは左手のみで、結婚をすると右手にも施しました。墨を入れる場所や模様には地域や時代(その時の流行)によっても異なりますが、代表的な模様にはそれぞれ意味があります。

最もポピュラーな模様である「矢じり」は、魔除けの意味が込められているといわれています。そのため魔物が入り込みやすいといわれている指に多く見られます。さらに右手に矢じりの模様を入れる場合は、「二度と実家に戻らない」という思いが込められているとも言います。

右手のハジチでよく見られるのが、「弓」の模様です。弓といっても楕円形の模様のことを言うのですが、これには「生まれた子どもがたくましく成長するように」という母親ならではの子を想う願いが込められています。

他にも初孫が生まれた時に入れる「扇形」や、身分によって入れることが出来る模様などもあり、ハジチの模様を見れば身分だけでなく年齢や家族構成までもわかるとさえ言われていました。

ハジチをしていないとあの世にも行けない?

本格的なハジチを始めるのは15~16歳ごろですが、実際にハジチを入れ始めるのは7歳前後からだったといいます。ハジチが入っていない手は「サラテ」と呼ばれ、子供であることの象徴でもありました。でも当時の子供の死亡率は高く、ハジチを一度も入れないままにこの世を去ってしまった幼い子供も多かったそうです。そんな時は、死んだ後にハジチを入れさせたと言われています。

「死んでからも痛い思いをさせるなんて…」と思うかもしれませんが、昔はハジチをしていないとあの世に行くことが出来ないといわれていました。そのため死んだ我が子の手にハジチを入れることも、子を想う親心からの行動だったのでしょう。

娘を守るために親も薦めていたハジチ

ハジチの風習が深く根付いていた頃の琉球では、東アジアの国々との貿易が盛んに行われていました。貿易の品の中には子供も混じっていたといわれており、ハジチをしていない子供は誘拐され外国に売り飛ばされていたといいます。そのため我が子を守るために、幼いうちから子どもにハジチを入れる親もいたといいます。

薩摩藩に娘を連れていかれないようにするためにハジチを入れた?

親が娘にハジチを入れるように勧めた理由は、人身売買から娘を守るためだけではありませんでした。ある時、ハジチを入れた若い娘が薩摩藩に無理やり連れていかれてしまいました。ところが彼女を見た藩主は、異様な文様が施された手を見て驚いてしまいます。結局若い娘は、そのまま両親のいる沖縄に戻ってくることが出来ました。

この話が島では噂となり、いつしか娘を持つ親は娘が無理やり薩摩藩に連れていかれないようにするために、幼いうちからハジチを入れるように勧めたといいます。

今は失われてしまったハジチのある風景

激しい痛みがあっても大人になる通過儀礼として、誰もがその痛みを受け入れていた沖縄の女性たち。今ではすっかりその記憶自体も沖縄の人々の間から消え、失われた風習としてわずかにその記録が残るのみになっています。

ハジチには、娘を想う親の想いや我が子の成長を願う母親の想い、初孫の誕生を喜ぶ祖母の想いなど様々な女性たちの想いが込められていました。すでにハジチは沖縄から消えてしまった風習なのですが、そこには今も昔も変わらない親と子の深い愛情が秘められています。