沖縄野球の初めてをすべて知る男・安仁屋宗八

プロ野球ファンだけでなく甲子園ファンも多い沖縄。沖縄県勢や県出身選手が出る試合は、県民全体が大いに盛り上がります。そんな沖縄野球の初めてをすべて知る男・安仁屋宗八。彼の伝説に注目してみます。

高校野球

安仁屋宗八ってどんな人?

安仁屋宗八(あにやそうはち)さんは、1944年生まれの元プロ野球選手です。本土復帰前の沖縄から、初めて県出身のプロ野球選手となった安仁屋宗八さんの現役時代はこんな人でした。

子供の頃は大の巨人ファンだった

安仁屋宗八さんが生まれた戦後期の日本で、日本人の大好きなものの代名詞として流行語になったのが、「巨人・大鵬・卵焼き」。大相撲で横綱まで上り詰めた大鵬と、物価の優等生と呼ばれ子どもたちからも人気があった卵焼きと並び、野球では強い巨人軍が人気でした。

プロ野球選手となって以降は熱烈なカープファンとして有名だった安仁屋宗八さんも、幼いころ、大好きだった野球チームは巨人軍。特に、当時の巨人軍で中心的選手だった藤田元司さんに憧れる、いわゆる一般的な野球少年でした。

沖縄の高校野球史上初!自分たちの実力で甲子園出場へ

戦後、アメリカの占領下におかれたままの沖縄で育った安仁屋宗八さんは、沖縄県として、初めて自らの実力で甲子園出場した沖縄高校野球部のメンバーでした。その歴史的な瞬間となったのは、安仁屋宗八さんが高校3年生の時に体験した南尾九州大会でのこと。

1963年に行われた南九州大会決勝で、安仁屋宗八さんが所属する沖縄高校は、宮崎大淀(現在の宮崎県立宮崎工業高校)を下し優勝。こうして、初めて甲子園出場の切符を手に入れます。それまで特別枠として参加することはあった沖縄県勢ですが、自らの実力で出場を獲得するということはなく、沖縄高校の快挙が初めてのことでした。

初めての都市対抗出場と県出身第一号プロ野球選手

沖縄高校卒業後、企業に勤めながら都市対抗野球大会などに県出身者として初めて出場していた安仁屋宗八さんは、本土復帰前の1964年に広島カープへ入団します。都市対抗野球大会に県出身選手として初めて出場したことも凄いことなのですが、当時パスポートがなければ沖縄を出ることが出来なかった時代に日本のプロ野球選手となったことは、さらにすごい出来事。

それだけに、プロ入団後、安仁屋宗八さんが初勝利をおさめた時には、県民全体が大いに盛り上がりました。一般家庭にテレビが普及していなかった当時の沖縄では、安仁屋宗八さんの試合を観戦しようと、当日、街の電気店の前に黒山の人だかりができ、翌日の新聞では、初勝利に関する記事が一面に大きく掲載されました。

安仁屋宗八の豪快伝説

生前の安仁屋宗八さんを良く知る人からは、よく「熱い男」というキーワードが飛び出します。そんな熱い男・安仁屋宗八さんには、数々の豪快伝説が残されています。

二日酔いでも平気で練習していた

現役時代は、小柄な体格の男性が多い当時の沖縄では珍しい、身長177㎝体重75㎏という恵まれた体格だった安仁屋宗八さん。強靭な肉体を武器に多くの戦いを制してきたという彼ですが、実際は内臓の方も相当強かったといわれています。

なにしろ、現役時代の安仁屋宗八さんの別名は、「底なしの酒豪」。朝まで酒を飲み明かすことはザラで、二日酔い状態で練習に参加することもよくあったといいます。お酒に強い沖縄県民といえども、二日酔いの状態でプロの厳しい練習に参加出来る人は、県内を探してもおそらく安仁屋宗八さんだけでしょう。

70代で98キロのスピードボールを投げる

現役時代、スピードボールで数々の三振を奪ってきた安仁屋宗八さん。現役引退後は2軍の投手コーチや監督を歴任していましたが、その体は、70歳を過ぎてもがっしりとした体格で、現役時代と変わらない強靭な肉体をしていたといいます。そんな安仁屋宗八さんの凄すぎるパワーを見せつけたのが、メジャーから広島東洋カープに移籍した黒田博樹投手が完封勝利を飾った試合の始球式でのこと。

ピッチャーとして始球式に登場した安仁屋宗八さんは、当時すでに70歳を過ぎていましたが、そのボールは年齢を全く感じさせない素晴らしいスピードボール。なんと、この時投げたボールは、98キロを記録!現役時代を彷彿させるフォームとスピードボールに、始球式でありながら、会場は大いに盛り上がったといいます。

カープファンなら誰でも知っている森伊蔵事件

カープファンであればだれもが知っている「森伊蔵事件」にも、なぜか安仁屋宗八さんの名前が出てきます。この森伊蔵事件は、安仁屋宗八さんがカープのコーチ時代に、日南春季キャンプで起きた事件です。

森伊蔵といえば、高級焼酎の代表格。山本耕史監督が大好きな焼酎で、キャンプ地にももちろん持ち込まれていました。ところがある日、監督愛飲の森伊蔵を木村和樹捕手が盗み飲みしたことが発覚!怒った監督は、罰として「森伊蔵をのんだのは私です」と書いた張り紙を張り付けたまま、練習をさせたといいます。

ちなみに、この森伊蔵事件の真犯人として裏で名前が挙がっているのが、安仁屋宗八さん。もちろん木村捕手も飲んではいたそうですが、「飲み干したのは安仁屋宗八さんだったのでは?」という説が未だにファンの間で根強く残っているのだそうです。

「選手なら外に出て飲んで遊べ!」が口癖だった

安仁屋宗八さんのもう一つの豪快伝説は、選手に対して、外で遊ぶことと飲むことを強く進めていたといいます。この言葉の真意には、「二日酔いでも練習ができるほど強くなれ」ということではなく、「外に出ることによって多くのファンと交流を持て」という安仁屋流のファンサービスにあったといわれています。

確かに、球場以外の場所でプロ野球選手と一緒に飲んだり遊んだりすることが出来たら、それまでその選手のことを知らなかったとしても、そのあとからは間違いなく応援してしまいますものね。