世界を舞台に活躍した沖縄出身のスーパーアスリートたち

様々な競技で活躍する県出身のアスリートたち。今回は、そんな県出身アスリートの中でも、世界を舞台に活躍した沖縄出身の3人のスーパーアスリートにスポットを当ててみます。

世界

県出身アスリートで唯一のオリンピックメダリスト【知念孝】

世界で活躍するアスリートたちが大勢誕生している中、県出身者でオリンピックメダリストというのは、ソチオリンピックまでの時点では、唯一、知念孝さんしか存在しません。

知念孝さんは石川市(現在のうるま市)出身

県出身アスリートの中で唯一のオリンピックメダリストである知念孝さんは、本島中部の石川市(現在のうるま市)の出身です。小学校は、石川市立宮森小学校出身。中学も、地元石川市の石川中学校に進学しています。

興南高校体操部で経験した高校総体

全国的にも注目が集まるようになったのは、高校時代のこと。石川中学校を卒業後に興南高校に進んだ知念孝さんは、在学中に出場した1984年の高校総体の鞍馬で、見事優勝。その後、さらに技に磨きをかけるために、日本大学に進学しています。

河合楽器体操部時代の実績もすごかった

日本大学を卒業した知念孝さんは、河合楽器体操部に所属。なんとここから、ものすごい記録を積み上げていきます。

まずは、1989年に出場した全日本選手権。この大会で知念孝さんは、得意の鞍馬で優勝。その後、1993年にも、同じく鞍馬で優勝しています。全日本社会人選手権では、1990年に個人総合優勝を果たすと、1991年、1992年と続けて優勝。3連覇を達成します。さらに、1991年にインディアナポリスで行われた世界選手権では団体で出場し、ここでも4位入賞を果たします。

体操王国復活となったバルセロナでメダリストへ

「体操王国日本」の復活を目指して相原豊選手、池谷幸雄選手、西川大輔選手、畠中好章選手、松永政行選手とともに出場したバルセロナオリンピックの男子団体では、日本国民の期待に応え、見事に銅メダルを獲得。この時獲得したオリンピックメダルを最後に、現在までのところ、県出身選手のオリンピックメダル獲得は実現していません。

実は長男がジャニーズ所属のアイドル

現役引退後は指導者として活躍している知念孝さん。実はその息子が、ジャニーズ事務所所属のアイドル・知念侑李さん。Hey! Say! JUMPのメンバーとして歌番組やバラエティー番組、CMなどでも活躍する知念侑李さんですが、実は、姉も体操選手という体操一家の出身。そのため、アイドルとして活躍する一方、いつか体操に関わる仕事をしたいとも考えているそうです。

ボクシング王国を牽引したカンムリワシ【具志堅用高】

最近では、すっかりバラエティー番組の出演者として定着しているタレントの具志堅用高さんですが、タレントに転身する前は、沖縄のヒーローとして県民ならば誰もが知っているスーパーアスリート。かつて沖縄が「ボクシング王国」と呼ばれていた頃を代表する元世界チャンピオンの具志堅用高さんは、こんなに強い選手でした。

ボクシング愛の強い沖縄が生んだ世界チャンピオンたち

今なお破られていない!日本人男子ボクサー最多記録保持者

具志堅用高さんは、元WBA世界ライトフライ級のチャンピオンです。具志堅用高さんがチャンピオンとなったこの時代のボクシングは、現在のように様々な団体が乱立する前のこと。それだけに、世界中のボクサーたちがその頂点として目標にしていたのが、当時のWBA世界王者というタイトルでした。

それほど凄い価値を持つ当時のWBA世界チャンピオンの座を、具志堅用高さんは、なんと13回にわたって防衛に成功。この記録は、日本人男子ボクサーとしては伝説の記録であり、未だ破られていない偉業でもあります。

現役時代は「カンムリワシ」と呼ばれていた

具志堅用高さんの出身は、石垣島の出身です。そんな石垣島周辺に生息する国の天然記念物のカンムリワシは、狙った獲物を絶対に外さない狩りの名手でもあります。そんなカンムリワシが生息する石垣島で生まれ育った具志堅用高さんは、初の世界タイトルを獲得した後、「ワンヤ、カンムリワシニナイン(俺はカンムリワシになりたい!)」とコメント。これが一躍有名となり、その後、「カンムリワシ」は彼の代名詞として定着しました。

国際ボクシング殿堂の殿堂入りを果たす

未だ破られていない日本人男子歴代最多の13度連続防衛記録を持つ具志堅用高さんは、国際ボクシング殿堂の殿堂入りを果たしています。2016年6月に米ニューヨーク州で行われた表彰式には、「世界のヨーコー」を一目見ようと集まった約500人のファンで会場が埋め尽くされ、式典の前に行われたパレードでは、沿道からの「ヨーコーコール」が鳴りやまなかったといいます。

石垣島には『具志堅用高記念館』もある

具志堅用高さんの生まれ故郷である石垣島には、彼の偉大な功績を記念し「具志堅用高記念館」が建てられています。館内には、数々のポスターやトロフィー、チャンピオンベルトや現役時代に使用していたグローブなどがびっしりと展示されています。さらに、故田中角栄さんや王貞治さん、故高倉健さんなど各界の大物たちから具志堅用高さんにあてた、現役時代の祝電なども展示されています。

ちなみに館内には、記念館でしか販売されていないオリジナルグッズなどもあります。「カンムリワシ」と呼ばれた具志堅用高さんの歴史に触れた後には、ぜひ記念にどうぞ。

具志堅用高記念館

  • 住所:沖縄県石垣市新川2376番地
  • 電話:0980-82-8069
  • 開館時間:9:00~18:00
  • 休館日:なし
  • 見学料:大人400円、子供200円

日本人初のプロハンドボールプレーヤー【田場裕也】

那覇市に隣接する浦添市は、ハンドボール王国宣言をしているほど、ハンドボールが盛んな地域です。そんな浦添市出身のプロハンドボールプレーヤーが、田場裕也さんです。

ハンドボール強豪校に入学し得点王獲得

昔から街ぐるみでハンドボールを盛り上げている、浦添市。小学校のうちから学校の授業やクラブ活動などを通してハンドボールに慣れ親しんでいた田場裕也さんは、県内のハンドボール強豪校である興南高校に進学。高校3年生の時に出場した全国春季大会で、田場裕也さんが所属する興南高校は3位となり、自身も得点王に輝きます。

高校卒業後は、日本体育大学に進学。在学中に出場したインカレでは、優勝経験2回、準優勝1回を経験しました。さらに1997年の関東大学秋季リーグでは、得点王になりました。

日本人初のプロハンドボールプレーヤーへ

大学卒業後は、名門ハンドボールクラブチームがある湧川製薬へ入社した田場裕也さん。もちろん、入社後はハンドボール部に入部し、ここでさらなる飛躍をとげます。社会人一年目に日本リーグの新人王を獲得した太田場裕也さんは、翌年にスペインへの留学を決断。ここで、2部リーグのテルサ・アドリアネンスに所属し、1年間で28試合出場します。

2000年に帰国し、湧川製薬の契約選手として日本リーグに復帰。ここで田場裕也さんは、日本人初のプロハンドボールプレーヤーとなりました。

日本人初!欧州プロリーグへ挑戦

活躍の場を再び海外に戻した田場裕也さんは、日本人として、初めて欧州プロリーグに挑戦します。フランス1部リーグのウサム・ニームに移籍後は、チームのエースとして活躍を続けた田場裕也さん。シーズン得点ランキング3位を獲得するなど、欧州リーグでも存在感のあるプレーヤーとなりました。

地元沖縄でプロハンドボールチームを立ち上げる

2006年に帰国し、地元である沖縄で、FC琉球ハンドボール部のゼネラルマネージャー兼選手として活動を始めていた田場裕也さんは、翌年には、日本初のプロハンドボールチーム「琉球コラソン」を設立。ここでも田場裕也さんは、ゼネラルマネージャー兼選手として就任しました。

2017年には10周年を迎えた琉球コラソン。日本人初のプロハンドボールプレーヤーとして、国内外で活躍をした田場裕也さんが設立したプロハンドボールチームには、現在、多くの県出身選手が所属し、地元で愛されるクラブチームとなっています。