チバリヨ―!沖縄出身の相撲力士

日本の国技である大相撲の世界に飛び込んでいった沖縄出身の相撲力士がいます。外国人力士が増加する中、比較的小柄な体型の男性が多い沖縄から、将来の横綱を目指して日々頑張る県出身力士に注目!

条件をクリアしなければ力士になれない厳しい大相撲の世界

相撲

体が大きく力持ちであれば、誰でも力士になれそうなイメージがある大相撲。もちろん、日本の国技である大相撲の世界は、それほど簡単に入れるものではありません。

力士になるための登竜門「新弟子検査」

大相撲の力士になるためには、毎本場所前に行われる新弟子検査を受検しなければいけません。まず受験資格としては、「中学高卒業以上である」ということが必要であり、さらに年齢の上限として「23歳未満である(検査日における年齢)」という条件が加わります。

新弟子検査では体格検査と内臓検査が行われる

新弟子検査では、体格検査と内臓検査が行われます。体格検査では、「身長が167㎝以上」「体重67㎏以上」であることが合格基準となります。

3月場所に限り例外がある

中学卒業の受験生が多い3月場所の新弟子検査では、中学校卒業者に限り、体格検査の基準が変更されます。この場合、「身長が165㎝以上」「体重65㎏以上」となります。

かつては身長がハードルになっていた体格検査

現在の合格基準は、2012年の基準改定によって決められました。それ以前の新弟子検査では、合格の基準はもう少し厳しく、「身長173㎝以上」「体重75㎏以上」でした。そのため、検査当日に兄弟子に頭を殴ってもらい「こぶ」を作って身長をかさまししたり、頭にシリコンを埋めて身長を高くするということもありました。

そういえば、現役時代に「平成の牛若丸」「技のデパート」と呼ばれた舞の海関が、この方法を使って合格したという話は、あまりにも有名。もちろん、この方法は健康への悪影響が危惧されることもあり現在は禁止されています。ただし、そこまでしてでも力士を目指す若者たちがいるということも事実であったため、その後、検査基準の見直しが行われるようになりました。

年齢の上限が25歳未満まで緩和されることもある

2017年1月場所以降に行われる新弟子検査では、「検査日当日の年齢が23歳未満である」という合格基準が、「25歳未満」までに緩和されるようになりました。ただし、これはあくまでも特例。この特例を受けるためには、主に格闘技(相撲を含む)で一定の実績を持っている必要があります。この条件を満たしている上で理事会の承認が得られれば、合格が認められます。

すでに引退しているけれどファンが多かった県出身力士たち

大相撲という厳しい世界に飛び込み、関取として活躍した元力士の中には、沖縄出身者もいます。

琴椿克之(元前頭、現・白玉親方)

佐渡ヶ嶽部屋所属の力士だった琴椿関は、本名・渡嘉敷克之といいます。沖縄が本土返還されて間もなくの頃に、佐渡ヶ嶽親方にスカウトされて大相撲の世界に飛び込んだといいます。

何しろ稽古熱心なことで有名だった琴椿の得意技は、右四つ・寄り・上手投げ。幕内力士となってからは、怪我などもあり苦戦が続いていましたが、右四つから繰り出される豪快な投げに、多くのファンが魅了されました。

主な戦績

  • 【通算成績】530勝481敗51休
  • 【幕内成績】100勝104敗21休
  • 【現役在位】115場所

琉王優貴(元前頭筆頭)

現役時代は、旭山部屋に所属していました。疎開先であった大分県中津市で生まれた琉王は、戦後、アメリカ占領下の那覇市で過ごします。中学卒業後は奄美大島に渡り、奄美高校に入学。在学中は、相撲ではなく、柔道部に所属し活躍していたといいます。

高砂部屋に入門し初土俵を踏んだものの、思うような成績が出せず何度も廃業を考えたという琉王。「どうせ廃業するならいっそのことでかい四股名にしてやろう」と思い、琉王(琉球の王)に改名。

その後も、稽古をする気になれずちゃんこを食べ続ける生活を送っていた琉王。この生活が、琉王の転機でした。けいこもせずただ食べるだけの生活のおかげで、いつの間にかに体重が増加。そのことによって得意技である「押し」に威力が増していたのです。思わぬことで結果がでた琉王は、稽古への意欲が湧き、技に磨きをかける日々が続きます。すると、みるみるうちに本領を発揮。1970年11月場所には、沖縄出身者初の関取となりました。

引退後は、上野で相撲料理店を経営していた琉王ですが、脳梗塞で体調を崩してからは、少年時代を過ごした沖縄に戻り療養。2015年に、70歳でこの世を去っています。

主な戦績

  • 【通算成績】443勝458敗14休み
  • 【幕内成績】183勝237敗
  • 【金星】1個(1974年5月場所)

若ノ城宗彦(元前頭、現・西岩親方)

若ノ城は、那覇市出身の元力士です。本名は、阿嘉宗彦。名前を見れば、それだけで沖縄出身であることがわかります。高校は進学校で有名な沖縄尚学高校に入学。在学中は、柔道部に所属していました。1年生のころからレギュラーだった若ノ城は、2年生の頃、全国高等学校柔道選手権大会団体戦で優勝。それだけに、当時は「オリンピック柔道の代表候補」として注目されていたそうです。

柔道での輝かしい実績をひっさげ、名門・間垣部屋に入門した若ノ城でしたが、高校時代から1日1升の白米を食べ続けていたこともあり、入門以前から糖尿病を患っていたようです。入幕当初は三役昇進も期待される県注目の力士でしたが、幕内昇進後も糖尿病の悪化やけがなどに苦しみました。それでも、大きな体から繰り出される右四つと上手投げが得意技だった若ノ城は、最高位は西前頭6枚目まで上り詰めました。

主な戦績

  • 【通算成績】356勝375敗21休
  • 【幕内成績】78勝102敗
  • 【優勝経験】1995年9月場所にて十両優勝 /1993年3月場所・2001年9月場所・2002年11月場所にて三段目優勝/1992年3月場所にて序ノ口優勝

琉鵬正吉(元前頭 陸奥部屋)

1977年生まれの琉鵬は、2012年5月場所まで現役の力士でした。小学校に上がる前から、お腹がすいたら自分で米を研いで食べていたという話が残っているほど、幼いころから力士の素養があった琉鵬。そんな琉鵬の初土俵は、1993年3月場所でした。

遅咲きの力士としても有名な琉鵬は、初土俵から新入幕を果たすまで81場所かかり、史上9位タイのスロー記録となりました。入幕してからも、思ったように成績が残せず、良く11月場所には十両に陥落。その後もケガなどに苦しみながらも、2015年5月場所まで現役を続けました。

引退後、沖縄でお坊さんになっている

琉鵬は、お坊さんとして沖縄で暮らしています。大きな体なのに優しく地元の人々に接する琉鵬は、島ではちょっとした人気者です。ちなみに、現役時代に痛めた怪我の影響で左膝が曲がらないそうで、お坊さんとしてお勤めをする時には椅子に座っています。

主な戦績

  • 【通算成績】444勝427敗55休
  • 【幕内成績】4勝11敗

未来の横綱を目指して頑張る!今注目の県出身力士

未来の横綱を目指し、厳しい世界に飛び込んだ県出身の若者たちがいます。今後の活躍が期待される、今注目の県出身力士たちをチェック!

千代皇王代仁(ちよおうみよひと)

鹿児島県与論島出身の千代皇は、中部農林高校相撲部の木崎監督のスカウトを受け、同校に進学。ここで、相撲を始めました。木崎監督の下で相撲に取り組む日々を送るようになった千代皇は、1年次から団体戦に出場するまでに成長。3年連続レギュラーだった千代皇は、団体でのインターハイベスト16や宇佐大会ベスト8入りにも大いに貢献しました。高校卒業後は、九重部屋の誘いを受けて角界入り。2010年3月場所で初土俵を踏みました。

得意技は、右四つ、寄り、吊り。特に吊りの技術は高く評価されており、現役屈指の吊りの名手といわれています。2017年1月場所には幕内昇進を決めた千代皇。今後が期待される県出身の力士です。

今後が期待される若手力士たち

他にも、今後の活躍が大いに期待されている県出身の若手力士たちがいます。

木崎(きざき)

うるま市出身です。木瀬部屋に所属する力士で、2017年7月場所では、東幕下七枚目でした。

千代の勝(ちよのかつ)

木崎と同じうるま市出身の力士です。現役時代は「ウルフ」の愛称で多くの女性ファンを魅了した九重部屋に所属しています。2017年7月場所では、東三段目三十八枚目でした。

松山(まつやま)

宮古島出身の力士です。出羽海部屋に所属しています。2017年7月場所では、東序二段四十一枚目でした。

美(ちゅら)

竹富町出身の力士です。解明前の四股名は、「島袋」でした。現在は宮城野部屋に所属しており、2017年7月場所では、東序ノ口十七枚目でした。

豊見山(とみやま)

沖縄市出身です。入間川部屋に所属しています。2017年7月場所では、東序二段百六枚目でした。

海波(みなみ)

石垣島出身の力士です。立浪部屋に所属しています。2017年7月場所では、西序ノ口十八枚目でした。